カピトル・ワールドクラス・ホテル・ミラノ - スフォルツェスコ城
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城の誕生は14世紀、ガレアッツォ・ヴィスコンティが城塞として築城させた時点までさかのぼる。その後は後継者達よってフィリッポ・ブルネレスキ等に委託され、ヴィスコンティ家の居城として建築が続けられた。1447年フィリッポ・マリーアの死後、アンブロジアーナ共和国の命により城塞の一部が取壊される。
1450年共和国が崩壊するとフランチェスコ・スフォルツォが城塞を奪取、すぐに要塞の建築はジョヴァンニ・ダ・ミラノ、後期にはジャコポ・コルトーナに委託される。
1452年フィレンツェ出身の建築家フィラレーテが、主塔の建築と装飾のため招聘されるが、わずか2年後バルトロメオ・ガディオ・ダ・クレモーナによって着工される。開廊、象の回廊、礼拝堂、ロッケッタ後部はベネデット・フェッリーニの手による。
フランチェスコ・スフォルツォの4男がブラマンテやレオナルド等多くの名匠らに委託し、スフォルツェスコ城を指折りの豪奢な居城として再生させた。
1499年スフォルツェスコ城の破壊が始まる。居城はフランス人らに占拠され、1521年にはフィラレーテの主塔が取壊される。スペインの統治下に置かれた際に改築を強いられ要塞となるが、1800年この改築部分はナポレオンにより取壊され、スフォルツェスコ城のみが残った。ロンバルディアがサルデーニャ王国に併合されると、城は兵舎として利用され、1880年には全壊された。後に修復工事が行われ、現在では美術館として利用されている。
ファサード上部の時計塔(高さ70m)は1521年に取壊され、その後、ルーカ・ベルトラーミにより修復された。表門にはルイジ・セッキにより騎乗の国王ウンベルト1世のレリーフ(1916年)が、その上のスフォルツェ6大公らの紋章中央に聖アンブロージョが描かれている。中庭両端に、それぞれ円柱状の塔がそびえている。高さ31m、多数の狭間胸壁とヴィスコンティ-スフォルツェ家の蛇の紋章で彩られている。ロッケッタとドゥカーレ宮に施されたゴシック様式の連作の大窓からは、カステラーナ角塔、ファルコニエラ角塔が見られる。
正面の裏側中央にはバルコ門が開けている。左脇のサント・スピリット門近くに修復された半月堡の名残が、風情をたたえている。右脇にはカルミー二門がはね橋と共にひかえ、奥にはルドヴィコ・イル・モーロ橋(ブラマンテ作とされる)が堀の上に架かり、アーキトレーブの可憐な開廊へと通じている。
時計塔をかかげるファサードをくぐり、アルミ広場の独特な中庭へと入る。かつては軍の訓練場だったが、現在は庭園として整備されている。
中庭の奥には、ロッケッタ(要塞)がひかえている。スフォルツァ家の人々の難事の際の避難所であった。
ほぼ中央にはボーナ・デ・サヴォイア塔(1476年製作)が、右側にはスフォルツァ家の居城であったドゥカーレ宮が見られる。ミラノの各建築から寄せられた彫像類を収蔵する入口広間を抜けてドゥカーレ宮へと入る。
壁面には、今でもフレスコで描かれたキリスト架刑図(1470〜1480年。作者はロンバルディア出身)が見られる。
ドゥカーレ宮の1階には、ルネッサンス様式の象の回廊(1473年ベネデット・フェッリーニ製作)が開けている。その名の通り壁面には動物のフレスコ画が描かれている。
要塞の姿を持つロッケッタの中庭3方には、回廊が巡らされている。右手部分はベネデット・フェッリーニの作。正面はフィラレーテ作、左手部分はベルナルディーノ・ダ・コルテが着手しブラマンテによって仕上げられた。
中庭より宝物の間へと通じている。かつては大公家の宝物の保管所であった。ブラマンテにより壁面に描かれたアルゴスが、その百眼でもって小部屋の宝物を見張っていたかのようだ。
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